イカンソクさん【福岡】
福岡で陶芸作家として活動されているイカンソクさん。
福岡で生まれ育ち、九州産業大学にて陶芸を学ぶ。
その後、沖縄での生活を経て現在は地元に戻り、陶芸活動を続けている。
今回は改装したばかりの作業場でお話を聞かせていただいた。
【2020年6月に改装を終えたばかりの作業場。旧家屋の名残を感じるあかり欄間や磨りガラスの入った引き戸が目を引く。懐かしさを感じる居心地の良い空間だった。】
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craftory(以下C):今日は貴重な機会をいただきまして、ありがとうございます!
イカンソク(以下イ):いえ!遠いところお越しいただきありがとうございました。
C:では、さっそくなのですが、イカンソクさんのことについてお話を伺っていきたいと思います。それで、最初の質問は何がいいかな~と思っていたんですけど…イカンソクさんの一番古い記憶って何ですか?
イ:前もって教えてくださっていた質問ですね!それについて考えたんですけど、パッと浮かばなくて・・・笑 逆にどんな記憶がありますか?
C:私は幼稚園に入園する前に、赤ちゃんの時から肌身離さず持ち歩いていたスヌーピーのバスタオルを取り上げられて大泣きした記憶ですね。
イ:タオル…テレビで有名な方が話してたんですけど、今治タオルが気持ちよすぎて常に持ち歩いているって言ってる方がいました。タオルって何かあるんですかね?笑
C:何なんでしょうね。笑 私の場合は赤ちゃんの時から持っていたので、匂いじゃないかって親は言ってましたけどね。ただ、ひきづりながら歩いてたのでボロボロで汚かったらしく。笑 本当のところはわからなかったらしいです。
イ:へぇ〜。あ!1つ思い出しました!
C:お、何ですか?
イ:3歳か4歳くらいの時に、三輪車に乗ってて。おばあちゃんと一緒にいたんですけど、おばあちゃんが前を歩いているのを「待ってー」って言いながら三輪車を漕いでたのを思い出しました!!
C:可愛いですね。
イ:ふふふ。うちは2世帯だったので、おばあちゃんが見ててくれたんだと思うんですけど、おばあちゃんが歩く速度の方が早かったから一生懸命漕いでいたんだと思います。
C:想像できます~。可愛い~。そういえばイカンソクさんってお姉さんがいましたよね?
イ:はい。姉と兄がいて、私は末っ子です。
C:お、それは1番可愛がられたんじゃないですか?
イ:それがそうでもなかったような・・・笑 姉とは4歳差なんですけど、姉が友達と遊びにいく時について行きたがってたんです。
C:妹弟あるあるですね。笑
イ:姉もいやいや連れていってくれてたんですけど、面倒を見てくれる訳でもなく、一緒にいたはずなのに気づけば1人で遊んでる子でした。笑
C:ふふふ。私の夫も2人兄弟の弟の方なんですけど、似たようなこと言ってました。お兄ちゃんの友達は優しかったって。
イ:そうなんですよ!お姉ちゃんの友達は優しかったですね。姉とはこの頃から性格が違っていたんだろうなと思います。
C:姉妹兄弟でも性格は違いますもんね!お兄ちゃんはどうだったんですか?
イ:お兄ちゃんの遊びの方があっていたと思います。当時ポケモンが流行っていたじゃないですか?
C:はいはい!めちゃめちゃ流行っていました。
イ:お兄ちゃん達はポケモンのカードゲームをやってて。私もそれに混ざって遊んでましたね。
C:へ〜!イカンソクさんとゲームが結びつかなかったので意外です!
イ:たぶん会話よりも物を通して遊ぶ方が好きだったんだと思います。小学校2年生まで親しい友達もできなかったですし。
C:そうなんですね!なんか意外です。
イ:休み時間も教室の後ろの方で、1人で絵を描いているような子でしたよ。そういえば、小学校低学年くらいの時に、おばあちゃんがスケッチブックと綺麗な色紙をプレゼントしてくれて。その色紙でちぎり絵をしたりしてました。
C:なんというか、小学生らしからぬというか。おしゃれな1人遊びですね!笑
イ:全然おしゃれじゃないですよ!笑 ちまちましたことが好きで、色紙をいかに細かくちぎれるかという所にこだわって作っていた記憶があります。
【「ジジはなかったんですけど・・・」と、写真を見せてもらった。当時作っていた芋をモチーフにした手芸・工作作品。】
C:こだわりポイントが小ささだったんですね!笑 1人で何かするのが好きだったんですね?
イ:うーん、自然体でいられる時間が好きだったんだと思います。
C:ほ~!ちなみにちぎり絵はどんなものを作っていたんですか?
イ:(魔女の宅急便の)ジジを作っていました。キキとジジが大好きなんです!
C:わかります!ジブリ作品は私も大好きです!私も魔女の宅急便好きですよ!
イ:そうなんですね!ちなみになんで好きなんですか?
C:あ〜、私は魔女の宅急便に出てくる街並みとか音楽とか、キキが買い物をしているシーンで紙袋に買い物を入れて帰るシーンとか。日本語を話しているけど海外っぽい感じが好きでしたね!イカンソクさんはなんで好きなんですか?
イ:私はですね。自分で分析した結果、主人公に感情移入できるかどうかなんだと思います。
C:感情移入!というと?
イ:ジブリ作品って基本は女の子が頑張る感じの作品が多いじゃないですか。キキも1人で頑張ってて、それでいてちょっと頑固なところが自分と似てるなと思って。それで好きなんだと思います。
C:2人とも同じ作品が好きだけど、好きになったポイントは全然違いますね!面白い!それはそうと、イカンソクさんって頑固なんですね。
イ:そうですね。自分の中で1度決めたことはやり通すっていうルールがあって。例えば小学生の時に持久走ってあるじゃないですか。
C:ありましたね〜。
イ:私は運動がすごく苦手で、体力もなかったんです。順位もビリから数えた方が早い子だった。だから、順位は関係ないって割り切ってて、でも絶対に歩かないっていうルールだけ決めて、完走してましたね。
C:途中で諦めないってところがかっこいいですね!!両親からも言われたことありました?
イ:言われてましたね。1回決めたことはやり通すけど、人の意見は聞かないって。笑
C:完全に頑固ですね。笑
イ:自分の芯からずれてくると軌道修正しながら進んでくところはあったと思います。自分の中にある道徳観とか正義とかがあるんでしょうね。
C:それはイカンソクさんを見てて、なんとなくわかります!芯がある感じ!素敵だと思います。
イ:ありがとうございます。
C:そんな小学生時代から中学・高校はどんなことに取り組んでいたんですか?
イ:中学・高校はバドミントン部でした。
C:運動が苦手だったのに?すごいですね!
イ:中学に入学する時にどの部活に入るかってなった時に、姉がテニスをしていて。ラケットを持ちたかったんです。ただ、同じようにラケットは持ちたかったけど、姉と同じ競技ではないものをしたくてバドミントンを選んだんです。
C:姉の背中を追う幼少期からすると、ちょっと自我が出てきたんですね。笑
イ:ふふふ。中学校の部活は厳しくて、朝練もあるし、土日も必ず練習はあるし、練習試合になったら丸1日部活だった。だから中学はバドミントン一色でした。
C:バドミントンって競技になるとかなり激しいですよね。
イ:そうなんですよ!コートも狭く見えるかもしれないけど、その中を前後左右に動き回って結構ハードなんです。中学は顧問の先生からしっかり指導を受ける部活でした。高校になったら、勉強との両立もあって中学ほどみっちりと言うわけではなかったですけど。自分たちでメニューを決めて練習したりして、中学の時より自主性が養われた感じでした。
C:小学校2年生まで友だちができなかったってことでしたが、この頃には克服していたんですか?
イ:そうなんです。小学校2年生になったころは、特定の親しい友だちがいた訳ではなかったんです。けど、担任の先生が見かねたのか、ある女の子グループの中に混ざれるようにしてくれて。そこから親しい友だちができるようになりました。
C:素敵な先生ですね。
イ:そうですね~。しかも、そのグループの女の子たちが同じピアノ教室に通っていたことがわかって。
C:イカンソクさん、ピアノも弾けるんですか??
イ:実は3、4歳くらいから高校1年生の途中まで習ってたんです。
C:それは自分から習いたいって親に頼んで?
イ:それもあったと思うんですけど、お姉ちゃんが習ってたのを見て、私も鍵盤を触りたいって思って。笑
C:お姉ちゃんの影響力がすごいですね。笑
イ:はい。親も姉と兄と平等にしてくれていたと思います。姉がやっていたことで妹の私のやりたいって言うことはやらせてくれてました。だから結構いろんな習い事してました。
C:へ〜。他には何をしてたんですか?
イ:水泳とか英語とか習字とか。水泳が一番続かなかったですね。まず顔を水につけられなくて。でも、当時ハンバーガーの自販機があって。水泳の帰りはその自販機でハンバーガーを買ってもらえてたんです。それだけを目標に頑張っていましたが、比較的すぐにやめちゃいました。
C:食べ物につられているところが可愛いです。笑 私も水泳は苦手でしたね〜。クロールの息継ぎが意味わからなかったです。
イ:あれ難しいですよね〜。水泳が嫌いだったのに、高校の体育祭でプールに入る競技に2年間出なきゃいけなくなったことがあったんです。じゃんけんに負けてしまって。あれは黒い過去ですね。笑
C:それは運がなかったですね。よりによってそういう嫌なことって回ってきますよね。私も経験あります。そういえば、イカンソクさんって高校は普通科だったんですか?
イ:はい、普通科でした。
C:でも、確か大学は美術系でしたよね?
イ:そうなんです。入学試験の時にデッサンが必要で。すごく苦労しました。
C:初心者だった訳ですもんね。美術部だったわけでもなかったんですよね。
イ:はい、なので美術部の先生にデッサンの勉強を見てもらっていました。
C:そもそも、なんで美術系に進学しようと思ったんですか?
イ:もともとものづくりが好きだったんです。例えば、小学生の頃、お菓子作りにはまっていたこともあって。友達とお菓子を作って、できたお菓子と水筒を持ってピクニックをしていた時期もありました。
C:可愛らしいエピソードですね。笑
イ:お菓子作りって集中するじゃないですか。そういうのが好きだったんですよね。
C:ちぎり絵もそういう感じですよね。
イ:そうですね。それで、小学校中学年くらいの頃から、お母さんとおばあちゃんと一緒に焼き物を見に行く機会が多くて。
C:小学生で焼き物!笑 しぶいですね〜
イ:そうですよね。笑 母と祖母が好きだったから見にいっていただけだったんですけど、自分も好きになっていて。おばあちゃんへの誕生日プレゼントに粉引のモダンな焼き物を選んでプレゼントしたこともありました。そういう影響も受けて小学校中学年のころには『陶芸家になる』って言ってましたよ。
C:結構早い時期から将来の夢として思い描いていたんですね。
イ:そうなんです。それで、高校3年生の春くらいに、美術系に進みたい熱が爆発して。
C:爆発!?
イ:はい。担任の先生からは個人面談で簿記などの資格が取れる学校を勧められていたんですけど、自分がしたいことができる場所に進みたい!って思ったんです。
C:自分の芯からぶれないように軌道修正をしたってかんじですね。それで受験のためにデッサンの勉強を始めたと。
イ:そうですね。美術部の先生に見てもらったり、夏休みに絵画教室に1週間だけ通わせてもらったり。絵画教室はお金がかかるので、あとは自主練をして。影の付け方だったり基本的な描き方だったり。
C:デッサンってしたことないんでよくわからないんですけど。単純に絵を描けば良いって訳ではないんですね。
イ:そうなんですよ。美術系に進むのであればデッサンは基礎になる部分なので。自分が作りたいものを絵で表現できることも必要なスキルにはなります。ただ、どんなに絵のうまい子でも、デッサンは苦手って言う子がいるくらい技術的な部分が難しかったです。
C:そういう苦労をして、試験日をむかえられたんですね。
イ:はい。試験を受けたのは倉敷芸術科学大学と九州産業大学でした。本命は倉敷芸科大で。そこは陶芸の他にガラス工芸も学べるんです。私はガラスにも興味があったので、そちらが第一志望でした。ただ、県外になるので、学費に加えて下宿代もかかってしまう。なので親から言われていた条件は、特待生に受かれば倉敷芸科大に進んでも良いというものでした。
C:親からしたら、美術系はお金がかかりますし、私立だしって思いますよね。
イ:そうなんですよね。ただ、倉敷芸科大の特待生には落ちてしまって。九産大に進学することになったんです。
C:それは残念だったんじゃないですか?
イ:落ちたと知った時はすごく泣きました。笑
C:そうですよよね。ただ、志望していた芸術系の学校への進学はかなったわけですね。
イ:そうです。大学に進学してもまたデッサンの授業があって。すごく苦労しました。笑
C:イカンソクさんは作品を作る時に絵を書いたりするんですか?
イ:いえ、私はまず作ってみる派です。笑 そのあとに2回目、3回目と回を重ねてよくして行きます。ただ、絵を書いて作る方ももちろんいらっしゃいますよ。例えば「こういうものが欲しい」とオーダーが入った時には設計図を描いたり。
C:作品を形にするまでの工程は作家さんによって違うんですね。
イ:はい。例えば情報を集めて作る人もいるんですけど、情報を集めずに自分の想像で作るのも1つの作り方だと思います。
C:なるほど。
イ:私が作るヒトデの箸置きは、沖縄で暮らしていたアパートで思いついて試しに作ったものでした。
C:そういえばイカンソクさんは沖縄に住んでいた時期もあったんでしたね。
イ:はい。大学院を卒業してから、しばらくの間だけ住んでいました。そこでは休みの日や業務後に自分の作品を作ってもよかったんです。業務で窯を使う時に、隙間に自分が作った箸置きも混ぜて焼いたりして。そういう隙間産業的な感じで試していました。笑
C:まさしく隙間ですね。笑 やっぱり沖縄に住んでいたから思いついた作品なんですかね?
イ:そうですね。その時の環境の中で受けた刺激がもの作りに繋がっていると思います。今でもそうです。ただ、その中にも根底にある自分の個性を大切にしたいと思っています。
C:頑固な中にも柔軟さがあるところが素敵ですね。
イ:ありがとうございます。笑 実は割といろんなことを吸収して流される部分もあるんです。だけど、自分の中にある芯の部分はぶらさないようにしたいと思っています。
【新しく制作しているアナゴをモチーフにした商品。商品化に向けて現在テスト制作中。】
C:素敵ですね。まさしくキキに通じるものを感じます。そういえばイカンソクさんってなんで「イカンソク」という名前で活動されているんですか?
イ:それ、よく聞かれるんです。なので、文章にしてあるものがあるんですけど・・・・
C:お、ではこちらはゆっくり家で読ませていただきます!
もう予定の時間を完全に過ぎてしまっていますね!笑
イ:そうですね~笑
C:今日は取材ということでしたが、なんだかただただ楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまっていました!本当にありがとうございました。
イ:こちらこそ、いろんな気づきがありました。遠いところお越しいただき、ありがとうございました。
【取材後の撮影にも快く応じてくれた。濃い時間を過ごさせていただいた。ありがとうございました。】
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蚤の市で出会い、最初に感じたイカンソクさんの柔らかさと芯の強さ。
取材をしてみて、その第一印象は間違っていなかったと思った。
取材後、イカンソクさんの名前の由来についての文章を読ませていただいた。
「なぜ、維管束なのか」というA4用紙2枚に渡って記述された学生時代のイカンソクさんの言葉には
イカンソクさんの優しさ、芯の強さが垣間見え、文章を読んだ私の心が温かくなった。
またその続編(?)では、社会に出てからの葛藤を経て、さらに強くしなやかになったイカンソクさんを感じた。
その文章を読んでいる最中に私の頭の中に流れてきた音楽は、
Mr.Childrenの「祈り〜涙の軌道」だった。
たまたま前日に聞いていたからかもしれない。
人生を歩んでいくなかで、
様々な悲しさ、苦しさ、つらさを感じることで
人の中に宿るやさしさは、より強くなる。
私が一方的に感じたことだが、
イカンソクさんのやさしさはそいういう類の強さを感じる。
だから、お話をさせていただいている間、安心感を感じていたのかもしれない。
そして、それはイカンソクさんの手掛ける作品からも感じとってもらえるはず。
ぜひイカンソクさんの作品を手に取ってみてほしい。
そして、イカンソクさんの作品を手にする方の人生が、
やさしさに包まれたなら・・・
ということで、
次回はイカンソクさんの作品をいくつか紹介します^^
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