COCOSTONE 石山 浩二(北九州)
北九州市八幡東区にあるCOCOSTONEの石山さんご夫婦。
様々な出来事が折り重なって陶芸に携わる人生を歩むようになったお二人。
今回は旦那様の石山浩二さんにお話です。
お気に入りのおやつと、大好きな飲み物を片手に、
ゆったりとした気持ちで読んでいただけたら幸いです。
craftory(以下c) : 本日はお時間いただき、ありがとうございます。今日は石山さんの幼少期から現在に至るまでのお話を聞かせていただけたらと思います。
石山浩二(以下石山浩) : よろしくお願いします。
c : では早速。アンケートに記載していただいていましたが、幼稚園の頃は、近所の友だちと公園の遊具で遊んでいた記憶があるということでしたね。
石山浩 : 自分たちの年代の時って近所にわちゃわちゃ友だちがいて、年齢関係なくわちゃわちゃ遊んでいたんですよね。
c : とりあえず公園に行けば友だちがいるっていう感じですか。
石山浩 : そうですね。近場にある小さな公園にみんなが自然に集まってきて遊んでいましたね。
c : ちなみにご出身はこの近辺なんですか?
石山浩 : 実家は戸畑なんです。坂の多いところだったので、足腰が鍛えられました。
c : のちにラグビーをされるということでしたが、この頃からすでにトレーニングをされていたんですね。
石山浩 : のちに生きてくるっていう。笑 太ももとはしっかりしていましたよ。
c : それだけたくさん外で遊んでいたってことですね。幼少期の印象的なエピソードとして、友だちと喧嘩して家に帰ったというエピソードもあったそうですね。
石山浩 : どんな喧嘩だったかは全く覚えていないんですけど、男の子によくあるような取っ組み合いの喧嘩をした記憶がありますね。
c : けっこう激しい喧嘩してますね。
石山浩 : そうですね。その結果泣きながら家に帰りました。
c : 負けてるじゃないですか。笑 仲直りってした記憶ありますか?
石山浩 : させられましたね。幼稚園の先生が間に入ってくれて。
c : 幼稚園での出来事だったんですね!幼稚園から勝手に家に帰っちゃったんですか。
石山浩 : そうです。近かったから。笑
c : 元気いっぱいでわんぱくな男の子って感じですね。
石山浩 : まさしくそうでしたね。
c : また、妹さんがいらっしゃると。
石山浩 : 3歳下にいますね。
c : じゃあ結構喧嘩も多かったんじゃないですか?
石山浩 : かなりしましたね。
c : お兄ちゃんと妹の喧嘩って手加減ないこと多いですよね。
石山浩 : なかったですね。妹はお兄ちゃん想いだったんですよね。逆に自分は何もしてあげない兄でした。
c : 遊びに連れてったりとかはしていないんですか?
石山浩 : 記憶にはないですね。仲は良かったですけど、そんなに出かけるってほどではないです。
c : 小学生の頃は一輪車や竹馬をして遊んでいたということでしたが、流行っていたんですか?
石山浩 : たまたま学校にあったんですよね。
c : 確かに学校にはよく並んでますよね。
石山浩 : みんなで競っていたんです。竹馬だと高さとか速さとか。高くて速い奴がすごいってなってたんですよね。
c : サーカス団みたい。笑 結構上達しました?
石山浩 : 自分はいかに速く走れるかを極めてたので、低い位置だと軽く走れるくらいは上達しました。
c : それ以外にはやっていた遊びってありました。
石山浩 : 陣取りとか、ドッジボールは流行ってましたね。
c : 懐かしいですね。ドッジボールはだいたいの学校にコートがありますよね。
石山浩 : ドッジボールは流行っていた期間は長いかも。そういえばミニ四駆も流行ってました。何台か持ってましたよ。
c : 竹馬もそうですけど、スピード感のあるものが好きだったんですか?
石山浩 : あれはスピードだけじゃないらしいんですよ。早すぎたらカーブを曲がれないし。車体のバランスを作るのも難しいみたいで。小学生の時だったのでよく分からずにしてたんですけどね。
c : 結構本格的な遊びなんですね。専門的というか。
石山浩 : そうなんですよね。いろんなチューンナップがあるらしいです。子どもの頃だったので、見た目重視でしたが。
c : 確かに見た目はかっこいいもの多いですよね。幼稚園の頃からわんぱくで元気な子という印象は続いているんですけど、最初にできた友だちもわんぱくな子だったということでしたが。
石山浩 : 気づいたら遊んでたんですよね。なんで仲良くなったかは覚えてないんですけど。通学路が一緒だったし。
c : 通学路が一緒だとだいたい仲良くなりますよね。ちなみにカバン持つゲームとかしてませんでした?
石山浩 : やってました!じゃんけんして負けた人がみんなのカバン持つやつ!
c : あれやってる人は楽しいんですけど、外から見たらいじめに見えますよね。笑
石山浩 : 今はやっちゃいけないかもしれないですね。懐かしい~。
c : そんな石山少年の好きな科目は図画工作だったんですね。
石山浩 : 夏休みの宿題で工作があったりするじゃないですか。中には親が作って提出する子もいるじゃないですか?
c : 中には、、、そうですね。笑
石山浩 : それで僕はおじいちゃん子だったんですけど。そのおじいちゃんが器用な人で。ちょうちん雨傘を玉子の殻で作ってもらったことがあって。それが入賞しちゃったんです。
c : おじいちゃんすごいですね。
石山浩 : こういうことができるとこんな賞をもらえるんだって。おじいちゃんすごいなって。おじいちゃんはすごく遊んでくれて、たくさん思い出があるんですよね。
c : 一緒に住んでいたんですか?
石山浩 : 別々に住んでいたんですけど、大学進学を機におじいちゃんの家に居候させてもらいました。
c : おじいちゃんはそういうもの作りを仕事にされていたんですか?
石山浩 : いえ、製鉄マン一筋だったんですけど、早期退職をして。おじいちゃん家は一軒家だったんですけど、家の修繕をしたり、小屋を作ったりという仕事はおじいちゃんがしていました。こんなことは自分にはできないな~と思いながら見てましたね。
c : すごい方ですね!
石山浩 : 知識や経験談はおじいちゃんからたくさん学びましたね。おじいちゃん家の裏に美術館があったんです。抜け道があってすぐ行けたんですよね。そこでカブトムシをとったりもしました。
c : 身近に美術館があると絵画に興味を持つこともあったんじゃないですか?
石山浩 : そうですね。絵も好きでした。
c : 工作だったり絵を描いたりしたものの中で今でも覚えている作品ってありますか?
石山浩 : 小学生の頃ではないんですけど(店内の壁にかかっている絵を指して)あれは中学生の頃に描きました。
c : え!石山さんが描いてたんですか!
石山浩 : 実家にあったものを妻が気に入って。それで飾ってあるんです。
c : 中学生が描いた絵には見えないです!!
石山浩 : ちょっと病んでるんですよね。笑
c : 笑!抽象的なものをよく描いていたんですか?
石山浩 : 風景とか動物の絵が多かったと思います。あと、小学生の頃は漫画クラブに入っていましたね。絵を描くことも好きだったんですよね。
c : 一方で習字を習っていたということなんですけど。
石山浩 : なんで通い始めたのかは覚えていないんですけど、近所の公民館でやってた習字教室に行ってました。
c : 絵や工作もそうですけど、集中して取り組むものが好きだったんですね。
石山浩 : 勉強ができなかったから。笑 自分ができることに向かっていっていたところはありますね。
c : 親から勉強しないさいって言われることはなかったんですか?
石山浩 : ありましたよ。たまに親に対して「俺、今日から生まれ変わるけん」って言ったらお母さんが喜んでくれるんですよ。まぁ3日坊主なんですけど、たまにそんなこと言って親を喜ばせとこうって時ありましたね。
c : 小学生にして策士じゃないですか!笑 生まれ変わるという言葉にはあんまり耳を傾けない方がいいってことですね。
石山浩 : 騙されない方がいいいですよ。
c : ふふふ。では、中学生時代に話はうつるんですけど。興味を持っていたことがサブカルチャーということで、どんなジャンルが好きだったんですか?
石山浩 : いろんなジャンルが好きだったんですけど、漫画も好きだったし、戦隊モノも好きだったし。ガンダムみたいな戦闘機が出てくるものも好きでしたし。
c : 興味を持ったきっかけってあったんですか?
石山浩 : TVで放送してたからかな。今みたいにたくさん選択肢があったわけじゃないから、みんなが観てたし、学校行ったら友達とその話にもなるし。
c : その中で一番好きだったのは何のアニメでしたか?
石山浩 : ”ワタル”っていうアニメが好きでしたね。2期まであるんですけど、2期が終わった時に悲壮感を感じるくらい好きでした。毎週楽しみにしてたのに・・・みたいな。
c : どんなお話なんですか?
石山浩 : マシンが出てきて戦うようなアニメなんですけど。現実から別の世界に移動してその世界を平和にしていくっていうストーリーで。
c : どんなところが面白かったんですか?
石山浩 : 同じ時間軸なのに別の空間に別の世界が存在して人が生活しているっていうことが新鮮だったんですよね。ただ別の空間に移動して怪物を倒してっていうだけじゃな行くて、離れているけど繋がっているというか。いろんなメッセージ性のようなものがあって。もちろん人によってその受け取り方も違ってくると思うんですけど、僕はそういう部分がすごく好きですね。
c : 今はそういうメッセージ性の強いアニメって増えている気がしますけど、当時は珍しかったんですね。
石山浩 : 当時にしては独特な世界観だったと思います。漫画も小説も読みましたね。
c : また中学生の頃に好きだった科目が美術だったということなのですが、美術のどんな時間が好きでしたか?
石山浩 : 美術の時間にすること全てが好きでしたね。
c : 先ほどの紹介していただいた絵も美術の時間に描かれたんですよね?あの絵はご自身のインスピレーションで描かれていたんですか?
石山浩 : そうですね。その時の感覚だったり思っていることだったり想像の世界だったり。
c : この絵は何を表現されているんですか?
石山浩 : 現実にありえないようなことを現実にあるかのように表現したかったんです。現実はしないだろうけど、あるかもしれないとか、そういうことを考えながら描いていましたね。このころは宇宙が好きで、宇宙の未知の惑星と現実とが混ざり合ったものを表現しようとしていました。
c : そのインスピレーションの元になっているものって何かあるんですか?
石山浩 : 父が映画好きで。父が観ていたものの中で、特にSF作品に惹かれて。それで宇宙が好きになったのはありますね。
c : 好きな映画って何でしたか?
石山浩 : べたですけど”スターウォーズ”は好きでしたね。あと”エフ”とか。エイリアンの侵略みたいな映画です。人間の姿をしているけど皮をめくったら爬虫類みたいなエイリアンがいたりだとか。
c : Xファイルっていうドラマに近いですか?
石山浩 : ちょっと違いますけど、、、近いです。現実的なSFって感じです。
c : お店に飾ってある絵は不思議な世界観を持っていますけど。なぜかお店の雰囲気にあってますよね。
石山浩 : モノトーンだからかな。
c : そうかもしれないです。何度も言いますけど、中学生であれを描いたっていうことはびっくりしましたけど。
石山浩 : 逆に今描けないですよね。笑
c : 当時の感性で描いてますもんね。
石山浩 : そうですね。純粋な感性で。今描くと邪念が入っちゃって。笑
c : 邪念ですか。笑
石山浩 : 売れるかな~とか。笑 あの絵はそういうものが何もない状態の絵だから。
c : それは一理ありますね。笑 続いて、ラグビーについてお話を伺いたいのですが。8歳からされていたんですよね?
石山浩 : 当時、野球かラグビーかで迷っていたんですけど。友だちからラグビーやろうって誘われて。それがきっかけで始めたんです。その誘ってくれた友達の方が先に辞めちゃったんですけど。笑
c : 誘った側が先に辞めるってあるあるですよね。近くにラグビー教室があったんですか?
石山浩 : クラブチームがありました。
c : ラグビーができるところって少ない印象があるんですけど。
石山浩 : 福岡はわりとある方じゃないかなと思います。中学生までそのクラブチームに通っていました。
c : 監督はずっと同じ方なんですか?
石山浩 : 小学生の頃は学年ごとに違う監督がいて、中学からは同じ監督が指導してくれていました。
c : 意外に監督をされている方も多いんですね。
石山浩 : 当時の新日鉄が管理していたクラブだったんです。新日鉄にはラグビーチームがあって。監督さんたちも新日鉄に勤めている方たちでした。同級生のお父さんもいたりして。
c : 誘われたことがきっかけで始めたラグビーはどんなところが面白かったですか?
石山浩 : 面白い・・・。苦笑
c : あれ??
石山浩 : ほとんど面白いと思ったことなかったんじゃないかな~。小学生の頃はがむしゃらにやっていて、中学生になると競うっていう側面が強くなってきたこともあって、厳しさとかキツさはずっとあった気がします。
c : 続けることを迷ったりしたこともあったんじゃないですか?
石山浩 : もう中学生でやめようって思っていましたね。中学生の時は教室の席の後ろのヤツがクラブチームでも強い選手のやつで。練習をサボったら「何でこんやったん?」ってつつかれたりしてて。
c : でも続けられたんですね。
石山浩 : 確か中学2年生の時だったと思うんですけど。先輩から「お前強いね」って褒められたんですよ。単純だったから褒められたら嬉しくなって。「じゃ、もうちょっとやってみようかな」って続けましたね。
c : その先輩がいなかったら中学生で辞めてたかもしれないんですね。
石山浩 : おそらく。
c : 嫌だな~と思いながら続けられたことがすごいですね。
石山浩 : 当時はやめるっていう選択肢ってあんまりなかったです。今は嫌だったら辞めればいいっていう考えが浸透してきたかもしれないですけど。当時は続けることに意味があるというか、熱血って感じですかね。そういう感じだったんで、続けてました。でもきついからサボったりするときもありました。
c : 練習頻度は多かったんですか?
石山浩 : 週1、2くらいで中学になると土日もあったり。あとは合宿とかもありましたね。その合宿が嫌で嫌で。厳しすぎて。。。
c : ラグビーの合宿っていう響きからして厳しそうです。もはや怖さも感じます。笑
石山浩 : 当時の監督さんたちがとにかく厳しいんですよ。容赦ないですし。
c : どういう厳しさですか?
石山浩 : 結構きついこと言われてましたね。泣きながらやってたときもありました。
c : 辞めようとまで考えていたラグビーでしたが、先輩の一言で続ける道を選ばれて。高校受験もラグビーを優先されたんですよね。
石山浩 : そうですね。北九州高校の体育コースに進学しました。みんなスポーツ推薦で入学してくる子ばかりのコースです。
c : 高校のラグビーはどうでしたか?
石山浩 : 1年生の時はやっぱりしんどかったです。怖い先輩もいたし。笑 2年生の時はめっちゃ楽しくて、3年生になったら責任感も出てきて充実していましたね。
c : この頃に面白さや楽しさを実感されたんですね。どんな時に面白さを感じたんですか?
石山浩 : 試合の中で目立つ瞬間ってあるじゃないですか。ボール持った時やタックルで相手を倒したり。試合の中で数は少ないんですけど、そういうシーンがあると高揚感があって。そういう時ですかね。あとは15人でプレーしているからみんなでそういう感情を共有できるっていうのがいいなって思ってました。
c : 高校から楽しくなってきたわけですから、大学は迷いなくラグビーを続けるために進学されたんですか?
石山浩 : そうですね。九州国際大学に進学しました。
c : 九国大って強かったんですか?
石山浩 : 当時は強豪校と言われていました。
c : では大学はラグビー一色って感じでした?
石山浩 : そうですね。勉強は全くせず。笑 本当に申し訳ないと思っています。学費払ってもらっていたのに。
c : 学部は何だったんですか?
石山浩 : 法学部法律学科でした。その中でも経営学とかマーケティングとかいろんな要素があったりして。当時は全く興味がなかったですね。今になるともっとやっとけばって思っていますね。笑
c : まさか自分が経営するとは思っていなかったですよね。
石山浩 : そうですね。
c : 大学を卒業されてからもラグビーを続けられたんですよね。
石山浩 : 高校のOBが作ったクラブチームがあったので自然とそこに。気心知れた人たちが集まっていましたし、みんなが楽しむためにやっているようなチームでした。
c : 試合にも出るんですか?
石山浩 : 全然ありますよ。
c : みんなが主体的なチームってやってて楽しいですよね。このチームに所属している25歳の時に大怪我をされたんですよね?
石山浩 : そうですね。
c : かなり重症だったと伺っていますが、回復するまでかなりの時間を要したんじゃないですか?
石山浩 : 最初は力も入らなくて、握力も3くらいしかなかったんです。半身不随になるのは覚悟したくらいでした。手術はけがから1ヶ月後くらいにしたんですけど、体がある程度動くようになるまでは結構早かったんです。3ヶ月くらいかな。
c : すぐ手術っていうわけではないんですね。
石山浩 : けがをしたのがゴールデンウィーク中だったこともあって時間が空いちゃったんです。
c : けがをした瞬間って自分ではわかったんですか?
石山浩 : 脳しんとうを起こしていたので、記憶は曖昧なんですよね。ただものすごい音がしたそうです。
c : 「(けがをしたことによって)自分を表現するものがなくなってしまった」と感じたという言葉がとても印象的でした。手術から4年経ってプレーヤーに復帰したということでしたが、この4年間はラグビーから遠ざかっていたんですか?
石山浩 : 手術して体が動くようになったらリハビリを兼ねてチームには顔を出していました。できる範囲のサポートだったりちょっとした練習に参加させてもらったり。やっぱりラグビーをやってると選手としてやりたいなっていう思いも出てきていたんです。でも体のこともあってやっぱりできないっていう時期がしばらく続いていました。
c : その時に陶芸と関わるようになっていたんですね。
石山浩 : 妻が陶芸教室を探してきてくれて。ラグビーのことで自分が葛藤していることを分かってくれていたから「ちょっと行ってみない?」って誘ってくれたんです。その時初めて陶芸に触れました。
c : やってみてどうでしたか?
石山浩 : 陶芸教室ではフリーカップを作ったんですけど。作りながら昔からものつくりが好きだったことを思い出したんです。今までずっとラグビーをやってきたけど、こういうモノを作る、形にしていくということもいいなぁと改めて思いました。
c : 改めてご自身が好きだったことを思い出したんですね。
石山浩 : ずっとラグビーしかないと思っていました。それくらい熱中してやっていたんですけど。怪我したことによって改めてこういうことも好きだったなぁって気づけました。
c : 怪我がなければ陶芸に関わることもなかったと思いますか?
石山浩 : そうですね。ラグビーに熱中していたから。笑
c : また取材前のアンケートで「陶芸に触れ、心が満たされていくのを感じた」とお答えいただいていました。陶芸だったからこそ感じた部分もあったと思うんですけど、なぜそう感じられたと思いますか?
石山浩 : 土の感触がそう思わせてくれたのかな。作ったモノが焼かれることで形を変えていく面白さだったり、完成したものが日々の生活のなかで密接に関わっていく中で、自分が作ったものをさらに育てていくっていう感覚もあって。自分の分身のような感覚がありますね。
c : 陶芸の恩師に河野先生という名前をお聞きしています。
石山浩 : 最初に訪れた陶芸教室の先生ですね。だいたい5年くらい通っていました。そこで基礎を学ばせてもらったんです。
c : 怪我から4年経ってラグビーのプレーヤーとして復帰されてからも陶芸を続けられていたんですね。
石山浩 : そうですね。ラグビーは34歳まで燃える尽きるまでプレーさせてもらいました。
c : ラグビー人生に区切りをつけた時には陶芸で独立をされていたとのことでしたが、河野先生からもらった言葉で印象的だったことってありますか?
石山浩 : 自分たちが独立するときに「あなたたちもやってみたら」と背中を押してもらったことが一番心に残っていますね。自分たちが独立するなんてってどこかで思っていたから。
c : 独立したいな~という思いは持っていたんですね。
石山浩 : そうですね。先生も気づいていたと思います。陶芸教室でも自分たちで結構好きなようにしていたので。笑
c : 陶芸家として活動をする中で様々な作家さんとの出会いもあったとのことでしたが、印象的な出会いってありますか?
石山浩 : 人生で初めてお会いした画家の堤康博さんとの出会いですね。抽象画を描かれる方なんですけど、自分の中で抽象画ってあまり身近にないイメージがあったんです。ただ、その方の描く絵は魅力的で惹きつけられて。こういう絵を描く方と繋がれたら嬉しいな、自分の作品に反映できたらいいなと思った方でした。それからずっとその方の作品展を見に行ったりして、追っかけるようになって。この方と一緒に何かできたらいいなと思っていました。そんなときに、グループ展のお誘いをしてくださったんです。他にもジャンルの異なる作家さんたちが集まった展示会だということで、もちろん快諾して。宇宙や星がテーマだということだったんですけど、その中でコラボ作品があったらいいよねっていう会話になって。その時に堤さんと温めていた作品を形にすることができたんです。自分が陶額を作って堤さんの絵を飾らせてもらえて。その時は泣いちゃいましたね。すごくいい作品ができたなって。そのあともコラボ作品を作らせてもらえて。厳しくストイックな方なんですけど。自分にとって師匠であり、憧れる人でありっていう存在の方ですね。
c : そういう方と出会えるって人生の中での大きな財産ですよね。作家活動をされるようになったのはいつからなんですか?
石山浩 : 2009年がスタートなので11年ですね。
c : 作家活動を始めてすぐお店を出されたんですか?
石山浩 : そうですね。最初は桃園っていう場所に古い倉庫のような場所を借りてお店をしていました。
c : そこではなん年くらいされていたんですか?
石山浩 : 4年くらいかな。その時は月に1回のみの営業にしていました。それでもお客さんが来てくれて、嬉しかったですね。
c : 月に1回OPENされる理由はあるんですか?
石山浩 : 当時は自分たちが住んでいる場所のリビングを片付けてショップスペースにしていたんです。1回1回片付けて展示してってしていたので。
c : 大変ですね。
石山浩 : 大変でしたね。でも楽しかったです。
c : 現在も月に数日営業されているんですよね。
石山浩 : 少しづつ営業日は増えて来ました。なるべく開けたいなとは思っているんですけど。
c : 石山さんにとってCOCOSTONEっていう場所はどんな場所ですか?
石山浩 : 自分たちの作品を通してお客さんと繋がれる場所かな。この場所に自分たちが作ったものが溢れているので。委託販売や卸もしているけど、一番来て欲しい場所です。
c : あったかい雰囲気がしますよね。場所は結構奥まった場所で、到着までドキドキしていました。
石山浩 : 最初は本当にあるのか?って思われるような場所ですよね。だんだん道も狭くなるし。
c : お店の入り口も表からは見えないじゃないですか。でも、角を曲がってお店の明かりが見えた瞬間に安心したんですよね。到着したっていう安心感もあったと思うんですけど、お店自体が持っているあったかさもあったのかなと。
石山浩 : そう思ってもらえて嬉しいです。到着して不安になられなくてよかった。笑
c : 笑。COCOSTONEは陶芸作品と通してお客さんと繋がれる場所ということでしたが、陶芸を通して表現したいことって何ですか?
石山浩 : 自分が作るものは動物をモチーフとした作品が多いんですけど。手にとってくれた人が、それぞれの生活の中でいろんな使い方をする中で育てていってもらえる作品になったらいいなと思っています。
c : 育てるというと?
石山浩 : 例えば、想像していなかった使い方をする方がいらっしゃったりするんですよね。
c : どんな使い方ですか?
石山浩 : ブローチを作っていたんですけど。プローチの裏についているピンを外してスマホの裏にくっつけてくれていたりだとか。そっちの方が身近におけるからって言ってくれていて。すごく嬉しかったです。あとはお湯のみとして作っているけど、ワインを楽しむときに使ってくれていたり。自分が作った作品にそういう振り幅があったっていうことが面白いなって思います。
c : 陶芸とはっていう質問に対して「魔法の種のような存在」と書いてくださっていて。種って何だろうって思っていたんですけど、こういうことですね。
石山浩 : 自分たちが作った作品が種となってその人の生活の中で育ってくれて。また育った花から新しい種が生まれて、自分たちの知らない別の場所で育っていたりとか。自分たちの知らないところで自分たちを知ってくれていたりして。そういう出来事があったから、種っていう表現になったんだと思います。
c : 最後に、今後取組んでみたいことを教えてください。
石山浩 : 絵本や童話に関連したような物語の広がるオブジェを陶芸で展開していけたらいいなと思っています。
c : 石山さん、本日はありがとうございました。
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10/10(土)はCOCOSTONEの石山智子さんのお話をご紹介します^^
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